僕のこれまでの来歴と折角入った会社を退職に至った理由

退職したぜー

早速自分語りで申し訳ないです。最初の数記事は筆者のことを知ってもらいたいので自分語りが多くなりそうな気配です。

今回は僕がこれまで歩んできた道、そして就職した会社を退職した理由を書いてみます。

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幼少期から大学入学までは「優秀な子」だった

僕は自分で言うのもアレなのですが、小学校から大学入学までは一般的に言う「優秀な子」でした。

文武両道、スポーツは全国大会(正確には権利を得ただけ。後述します)へ行ったり、高校は有名なところに行き、大学は旧帝大へと順調に進みました。しかし、現在無職です。

こうなった原因…というか、トリガーになった事件があったので紹介します。

 

中学時代の熱中症

中学時代、外で練習していたら熱中症になってしまいました。

当時はまだ熱中症なんて、という感じだったので対処が遅れてしまい、僕はそれから後遺症に悩まされることに。

具体的には常に吐き気がしたり、熱がすぐ出たり。自律神経がやられたっぽいですね。

心療内科に通いつつもあまり快方に向かわなかったですが、何とか保健室登校をしたりとギリギリ日常生活を送れる感じだったので、無事高校に進学出来ました。全国大会が決まっていた大会に体調不良で出られなかったは悔やまれますが。

高校でも同じく症状は出ていたのですが、中学と環境が変わったこともあり、ちょっと体が弱いかな、程度の生徒としてバンド活動や勉強、スポーツに精を出しており、無事大学は旧帝大へと進学。(本当は心療内科の先生の影響で医学部に行きたかったのですが、二浪しないと無理と言われ妥協しましたw)

そんな感じの中高生時代。熱中症からの自律神経失調症が今も影響しているのかも知れません。

 

大学時代のパニック障害

大学に入った僕は1年の時から週に24コマ(確かマックスだった)入れるなど勉強を頑張りました。同時に軽音部に入って趣味も楽しんでおりました。

そんな大学生活を送っており、進路振り分けでも好きなところに進むことが出来たのが2年の後期。

それまでのギリギリの生活がパンクしたのか、2年後期の新しいクラスが始まってすぐに、「教室に座っていられない、息苦しい、吐きそう」という症状に陥り、大学へいけなくなりました。この時20歳。

そして大学の保健センターで診てもらうと大学近所の精神科へ案内されました。

その精神科で言われたのがパニック障害。現在もすぐに外に出られない場所が苦手だったりと続いています。

そしてうつ病にもなりました。

その後、大学は中退し、バイトをし専門学校へ行けるようにまで回復し、専門学校で優秀な成績を納めたために校長のコネで都内の某業界大手に入社することが出来ました。専門学校コスパ良いですw

 

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僕が仕事をやめたいと思った理由

さて、そんな幼少期からのことを書いてきましたが、病む→ある程度生活出来る→病む→生活出来る→勢いで就職!という形で就職をしました。

正直言って自分でも辞めたのが勿体無いと思うような会社、しかし辞めました。

辞めるに至った理由を書いていきます。

 

勤務時間がアホみたいに長い

電通問題があったりしましたが、僕のところもそれに近い感じだったのでは?と思います。

朝5時に家を出て6時に出社、仕事が終わるのが25時、そこから飲み会(毎日ありました)が終わるのが28時。

タクシーに数人で同乗して後輩の自分が最後に降りるので家に帰り着くのが29時や30時。24時間以上働いていますねw

その次の日は先輩たちは昼から出社ですが、新人は朝6時や8時に出社、また帰宅は朝、これの繰り返しでした。

寝る時間もない状態でしたね。

 

職場の雰囲気が悪い・パワハラ

先輩たちの尊敬出来るところは、アホみたいな勤務時間を一年続けたことくらいでした。

あとは人格的に尊敬出来る人はほぼいませんでした。

僕の入った会社は女性が半数以上だったのですが、その先輩方がねちっこく言葉で攻撃してくる。

男の先輩も女社会に染まったのかねちっこく精神的に攻撃。その上、暴力も。

そのくせに仕事は出来ない連中でしたね。(技術系の仕事だったのですが、技術の上手さより先に入った人が絶対です)

 

プライベートが無い!

勤務時間を見てもらえれば分かると思いますが平日はプライベートがほぼありません。イレギュラー的に仕事が早く終わると飲み会も早く終わって終電前に帰れたりはしましたが。

当時、専門学校時代からお付き合いをしている彼女がいて、彼女も上京してきました。僕の家の割と近くに住んでいました。

土日の空いている方くらい折角だから会いたいじゃないですか?

で、会っている時に先輩から電話が。(その先輩は同じ学校出身だったので会社の先輩の中では特に絶対でした)

偶然近くに住んでいた先輩は休みでも僕を呼び出します。彼女も学校の先輩ということもあって一緒に付いて行くこともありましたね。

そこで三人でただ喋るだけ。先輩の暇つぶし相手をさせられていたわけですねw

時にはプライベートなのに説教をされたりもしました。

 

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帰り道、自然と涙が出ていた

ある木曜日、夜の飲み会が早く終わり23時頃に下宿先の最寄り駅に到着することが出来ました。

この駅に到着するまで何度も途中の駅で降りて、「今電車に飛んだら楽だろうな」なんて思いながらも勇気が出ず、結局最寄り駅まで到着しました。

下宿先まで徒歩15分くらい。駅にあるスーパーでチューハイを買って飲みながら歩いて帰っていたら、ふいに涙が出てきました。

この先もこんな生活が続くのか、この生活をもしも耐えきれても何十年後を考えたら楽しい未来が待っているのだろうか、そんなことを考えていたような気がします。

泣きながら当時仲が良かった専門学校時代の友人や古くからの友人に電話を掛けました。

一方は頑張って続けてみては?もう一方はもう休みなよ。

自分の中では答えが出ていたんですが、電話をしてしまいました。

僕は休みなよ、と言ってくれた子の言葉の通り、次の日から仕事に行かなくなりました。

 

一ヶ月の休みをもらった

辛い時は辛い!

精神的にボロボロだった僕は休むと決めた次の日には精神科の予約を取って診断書を書いてもらいました。(慢性的に続く吐き気はあったので20歳の頃から良くなっても精神科は通い続けていました)

そこで先生に今まであったことを全部言うと、もうすぐに辞めるか?休職扱いにするか?と尋ねられました。

一応折角専門学校に高い学費を払って通ったし、もし体調が快方に向かえばまた仕事復帰出来るかも?と淡い期待を込めて休職の方向でお願いしました。

その当日の朝は職場には体調不良で病院に行きますとだけ伝えていました。

精神科の診断が終わり、診断書を貰った僕は、会社に電話することになります。

結構上の方の立場の人が親身に聴いてくださり、本来直接会社に行かねばならない手続きも郵送で済ませてくれ一ヶ月休ませてくれることになりました。

 

一ヶ月経過しても仕事に行きたいと思える状態にありませんでした

休職期間は抜け殻のようにボーっと過ごす日々で、忙しい彼女がご飯をたまに作ってくれたりと要介護状態に近かったです。

そして一ヶ月経過した頃、会社から電話がありました。

どうする?やれそうか?

当然僕の答えは「No…」

上司は残念そうにしていました。その際の電話で「君は入った頃から繊細そうで心配だったが…君は能力は高いから絶対また復活出来る、何ならまた僕と一緒に働こう。」なんて言ってくれて嬉しかったのを覚えています。その上司は現場には一切いない、普通の社員が話せるような立場の人間じゃないんですがねw

そして、その際に言われたのが「保険証を返送してくれ」とのこと。

これも筋であれば直接渡しに行くのが正しいんでしょうが、僕の体調等を汲んでくださり、郵送でいいとのことでした。

退職届などは書いた覚えが無い気がします。

 

そうして今までほぼ無職状態で過ごしています

仕事を辞めたのが確か25歳くらいだったでしょうか。これを執筆している2017年2月、僕は30歳なので、まるっと5年くらい無職が続いております。

正式には彼女の勤めていた会社でお手伝いをさせてもらったり、フリーランスとしてちょいちょい動いていたり。

あとは僕の別ブログの2015年9月頃に書いているようにヒモ生活をしていたり。

で、現在はその彼女とも別れ、都内で暮らせなくなった(親も定年になり仕送りが出来ないので)ので地元に帰って治療中です。

 

今の生活(お金についてとか)についてはまた後日書かせて頂くとして…

ニート生活をしていて最近はWEBデザイン関係の勉強をしたり、新しくこうやってブログを立ち上げてみたり、色々チャレンジをしてみたいと思っています。まだ体調に波があるのでそれもペースが遅いんですがね。

WEBデザインでフリーランスになれたらなぁなんて淡い期待をしてますが難しそうですね。

あとは僕と同じような精神障害者や精神疾患を持った方をサポートするNPOなんかが作れたらなぁなんて思ってたりします。(具体的なアイデアはあまり無いですが、何かの役に立てたらと。)

そんな感じで僕の来歴や退職のお話でした。自分語りが長くなり申し訳ありません。

最後まで読んで頂けた方はありがとうございました。

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